根拠のない自信が子育てには役立ちます、たぶん
歳をとると色々見えすぎるものです。
色々見えすぎて、自信がなくなることもしばしば。
例えば以下のようなことで、自分の子育ては大丈夫かな?と思うことがあります。
《子供に対して》
- どこかから覚えた変な言葉をつぶやく
- とにかく何もしない、やりたいことだけを貫く甘え
- 機嫌が悪く物に当たる短気さ
- イヤイヤ期なのかなんなのかわからない、とりあえず否定のスタイル
《親である自分に対して》
- 言うことを聞かない子どもにイライラ
- 仕事の都合でいっしょにご飯を食べられない
- 母親の言うことは聞くけど、父親は。。。
特にうちの息子はパターンで動くことが多く、あまりにも頑固なので、
この子自閉症なんじゃないか?と思ったこともあります。
また2歳過ぎても言葉がなかなか口から出ないので、
言葉の発達が遅れているのかな?と思ったこともあります。
でも実は自分の親に言わせると、
「あんたが子どもの時、私もそう思って病院に相談したわよ」とのこと。。。
母ちゃん。。。
振り返ると自分の子ども時代には、色々根拠のないこだわりがありました。
- 通学路のある道は上級生がおしっこをした「らしい」から、絶対に行かない。
- あの公園の砂場は酔っ払いのサラリーマンがおしっこをしている「らしい」から、絶対さわらない。
- あそこの蛇口に誰それがおしっこを。。。
おしっこの呪いばかりの少年時代でした。
大人になってからも実は仕事で結構ルーティンを大切にしていて、
通勤電車の時間や乗る場所は基本的にいつも同じですし、
使う筆記用具も使い捨ては好みません。
人と話をする時も、相手の話の内容より仕草や視線が気になっていたり、
笑いのツボが合わない人とは微妙に距離をとっていたりします。
立食パーティなんてもってのほかで、自分のペースを崩されたくありません。
後半は社会的に若干問題ありますが、でもこの歳までなんとかやれてます。
そう考えると、自分の息子がどうこう言う前に、
父ちゃんである自分自身がどうなんだ?ということです。
え?たぶん大丈夫だと思います。
もうそういうのは、自分は自己肯定感の塊なので、
なんか自分だけはいつもラッキーなような気でいます。
だから、なんとかなるさね。
息子もまぁ大丈夫かな。
「根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ。」
— 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2018年9月8日
ぼくは、学生さんなどに、この言葉をしばしば投げかける。
自信に根拠は必要ない。できるかどうかわからない。それでもやるしかない。つまり、「根拠のない自信」とは、とにかく行動するという決意表明だ。
茂木健一郎さんが↑こんなことを言っていました。
そう、子育ては誰しも最初ははじめてのことばかり。
わからないことと自分でコントロールできないことの連続です。
だからなんとか理性でクリアしようとしても、
無理な時は無理だし、なんとかなるときはなってしまいます。
答えはないのだけれど、
(答えを探せば探すほど泥沼の時が多いのだけれど)
きっと自分たちなら何とかなるさ。
だって僕はラッキーなんだもの。
だから今は自分のできることをやるしかないさ。
そんな風に割り切ることが良かったりします。
!?
と、こんなことを書きながら、
これ見たら妻がなんて言うんだろう?とふと思いました。
あんたはお気楽でいいわね。
こっちは苦労してんのよ、と言われるかも。。。
いやいや、まぁでもきっと許しくてくれるでしょう。
何しろ僕はラッキーなので。。。
科学的に証明された"運を引き寄せる法則" (エリック・バーカー) | プレジデントオンラインラッキーマンは自分でなるもの
2018/09/09 22:41